2006-9-10 12:22
Tales of Fatiny
[资料存档]プレリュード02 『Tortinita』[官方日文小说]
[align=center][align=center][b][size=9pt]プレリュード[/size][/b][b][size=9pt]02[/size][/b][b][size=9pt] 『[/size][/b][b][size=9pt]Tortinita[/size][/b][b][size=9pt]』[/size][/b][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 夏の強い日差しが窓から差し込み,瞼の裏を赤く染める。過ごしやすいように空調は常につけてあるが,キッチンは今,熱気に包まれていた。時刻は昼を少し過ぎた辺りだろうか,私は閉じていた目を開き,ぼんやりと映る辺りを見渡した。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] オーブンからは,チーズの焼ける香ばしい香りが漂ってきている。わざわざキッチンにも置いてある椅子から身体を起こし,居間にいるはずのトルタに声をかける。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「あ,良い匂いがしてきたね。もうできあがり?」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] トルタはすぐにやってきてそう言った。私は長年の経験と勘で,もう少し時間が必要だとわかっていた。でも,あえて質問をする。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「もう大丈夫だと思うかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「え? それは,わかんないけど。おばあちゃんがわかってるんじゃないの?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「トルタに聞いてるんだよ。どう思う?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「え? [/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ええ? うんと[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]もうちょっと[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]かな?」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 自信のなさそうな声で,トルタはオーブンに顔を近づけたようだった。それからしばらくは何も言わずに,ただ黙って中の様子を窺っている。そして,今度ははっきりと言った。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「うん,まだ少し焼かないと駄目だね」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] トルタもだいぶ,料理のことがわかってきたようだ。それに安心して微笑むと,トルタは小さく嬉しそうな声をあげた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「今度は自分で作ってみるかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「う~ん[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]今日みたいな日は止めとく。おばあちゃんが出かけてる日にでも一人で作るよ。それなら失敗しても誰にも迷惑かからないし」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 今日は,クリスが家に来る日だった。年に四,五回程度だろうか,わざわざ私のために顔を見せに来てくれる。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 彼がまだ幼い頃,私もトルタ達と一緒にクリスの隣の家に住んでいたことがあった。クリスは祖父母と一緒に暮らしてはいなかったので,時折遊びに来ては,私のことをお婆ちゃんと呼んでいた。私も孫がもう一人増えたように思え,可愛がったものだった。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 私が一人でピオーヴァの街に越してきたのが,今から約七年前。小さい頃から音楽が好きで,この街には憧れを抱いていた。とはいえ演奏する才能はとんとなかったから,本当に憧れに過ぎなかった。しかし年を取り,それなりに余裕が出てくると,欲もまた出てくる。毎週毎月街のコンサートホールで行われる演奏は,ものにもよるが,大半が手頃な値段で入ることができた。私がこの地に住もうと考えたのも,自然な流れだったのかもしれない。それに,いつかはここで暮らしたいと言い続けていたから,息子夫婦にもさほど反対はされなかった。半ばあきらめられていたようでもある。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] そしてなにより,だんだんと視力を失いつつある自分の眼が,最後のチャンスだと教えてくれたからでもあった。老人性の白内障だと早い段階で気づけたおかげで,今はこうして料理でも不自由なく作ることができる。何年もかけて物のある場所を覚え,生活のほぼ全般を自分の手で行えるように努力もした。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 自分の道楽で始めたこの生活も,トルタが家にやってきたことで,それなりの意味をもつことができた。クリスのフォルテール科と違い,国からの援助の一切無い声楽科への進学は,一介の市民にとっては大きな負担となる。学院の生徒は,貴族や,彼等に拾われた孤児達が大半を占めるが,それでもトルタのように,一般的な家庭から来る生徒の数も少なくはなかった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] そうして,人生の残り少ない時間ではあるが,私は幸せな時間を送っている。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] その中でも特にお気に入りの時間が,クリスが遊びに来てくれる,こんな日だった。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「それで,クリスは何時頃に?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「午後になってからって言ってたかな。やっぱりいつも通り,昼ご飯は自分の家で食べるんだって」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そうかい[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]なら仕方ないね」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] クリスはここに来てから,少し遠慮をするようになった。きっとここに来る前からなんだろうけど,私にとってはどちらでも意味は同じだ。それがただの成長であるとは,思えない節がある。子供達の抱える問題に関われないことは理解しつつも,それをただ見ているだけというのは,なんとも歯がゆい。幼い頃の記憶でも,同じように私は迷い,そして成長してきた。助言や,ほんの少しだけなら助けることもできる。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] ただ,根幹の部分において,やはり子供達は自分の力で乗り切らなければならない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 老人という立場は,かくも不便で,もどかしい。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「じゃあトルタ,いったんラザニアをあげて。ここまでやっておけば,最後に暖めるだけで構わないから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「は~い」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] クリスが来てからは料理もままならなくなるので,早い時間から用意は怠らない。トルタは私の言葉を待って,それから様々な用意を始めた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] それから数時間くらい経ってからだろう。控えめににドアをノックする音が聞こえ,待ちくたびれた様子のトルタが大きな声を上げながら,客を出迎えに行った。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「もう,遅いよ。昼過ぎっていうのは,せいぜい二時まででしょ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ごめん,なんか体調が悪くて」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] ドアの前での二人の押し問答が,最後のクリスの一言で終わりを告げた。二つ見える人影の一つが私に近づき,椅子の肘掛けに置いてあるこの手に触れた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「遅くなってすみません。ちょっと事情がありまして」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 触れた手が,少し熱い。だるそうな声で,クリスは私にそう言った。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「風邪かい? 少しからだが熱いみたいだけど」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そうみたいです。ちょっと昨日の夜から夏風邪をひいちゃったみたいで」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 軽くせき込んだ後に,クリスは少しだるそうな声でそう答える。それならそうと,早めに言ってくれれば良かったのにと思う。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「それなら無理に来ることはなかったのに。また,具合の良い時にでもいらっしゃい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]いえ,約束しましたから」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 立っているのが辛そうな彼に席を勧め,今日はこのまま寝かせた方が良いと判断した。口ではああ言っているものの,最近遠慮がちなクリスがすぐに席に座ったくらいだ。相当きついんだろう。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「少し横になるかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]いえ,本当に大丈夫です。それより,せっかく来たんですから」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] クリスは言いながら,机の上に何かを置いた。多分,フォルテールを持ち運ぶためのケースだろう。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「ちょっと,クリス[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]結構ふらふらしてるよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「だから,大丈夫だって。フォルテールまで持ってきたんだから,いつものように[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] トルタの心配する言葉を遮るように言い張るクリスを,今度は私が彼の言葉を止めるように名前を呼んだ。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「クリス」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]はい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「少し寝なさい。部屋はお客さん用のがあるから」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 優しく,諭すように言うと,クリスは子供のように頼りなげに頷いた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 年に数回ではあったが,クリスはこうして遊びに来てくれて,いつもフォルテールを弾いてくれる。だんだん上手くなっていく課程を聴けるようで,私はいつもそれを楽しみにしていたんだけど,こういう場合なら話は別だ。あくまで元気な顔を見せてくれるついでなのであって,無理に弾かせるつもりはない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 二階にあるお客様用の寝室にクリスを案内しようとすると,トルタが突然,後のことは全てやると言い出した。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「おばあちゃんは休んでて。シーツ替えたりするのは結構大変だから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]わかったよ。じゃあ任せるから,用意が済んだら呼んで」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「は~い」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 元気の良い返事を残して,トルタは二階へとあがっていった。建物自体が古いとはいえ,頑丈な作りの一戸建ては,私にとっては過ぎた物件のような気もする。一階は居間やキッチン,そして私の寝室など。二階にはトルタの部屋やこれからクリスの寝る客用の寝室がなどあり,充分な広さといえた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ごめんなさい。せっかく来たのに」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 口調まで幼くなったように,クリスが小さな声で言う。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「いいのよ。でも,どうして家で休まなかったの?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ニンナさんが楽しみにしてるかと思って。それに[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]台所から良い匂いがしてますから」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 料理に関しては,自分でもそれなりのものだと思っている。それを楽しみにしてくれているのはありがたいが,自分の身体をまず第一に考えて欲しいものだ。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「言えばいつでも作ってあげるよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そう毎日は,頼めませんから」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] そこまで言って,ほんの少し気づいたことがある。身体は辛いはずなのに,クリスは少し笑っていた。もちろんはっきりと顔が見えるわけではないが,口調からもそんな印象を感じた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「一人で,寂しかったのかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ち,違いますよ」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] 誰にでも覚えがあるだろう。風邪を引いたときに,寂しくて誰かに側に居て欲しいと思ったことが。否定はしたが,間違ってもいない気がした。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「はいはい。もう少し待ってなさい」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] クリスはしばらくふてくされて黙っていたが,トルタが階段を降りる音がして,椅子から立ち上がった。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「えっと[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]じゃあ,少し休ませてもらいます」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「どうぞ。それで,晩ご飯はどうする?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「いただけるのなら,ぜひ。それが楽しみで来たんですから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「お待たせ。[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]って,はいはい,馬鹿なこと言ってないで早く行くよ」[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] この後に及んでまだお世辞を言っているクリスを,引っ張るようにしてトルタが寝室へと連れて行く。久しぶりに家に来たのが嬉しいのか,それとも軽口を言えるのが嬉しいのか,とにかくトルタは機嫌が良さそうだ。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] クリスのことは後で様子を見に行くとして,私は自分のできることをする。どの程度悪いのかはわからないが,チーズのたっぷりと入ったラザニアは,病人の食べるご飯としてはふさわしくない。献立を変える必要がありそうだ。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] すでに慣れ親しんだキッチンまで歩き,何を作ろうかと考え始めた。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt] きっと朝はなにも食べていないだろうクリスにリゾットを作ろうと考えていると,トルタが階下に降りて来る音がした。[/size][size=9pt][/size][/align][/align][align=left][align=left][size=9pt]「あれ? なにか作ってる?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「消化の良い物をね。今日作ったラザニアは帰るときにでも包んであげましょう。クリスはお腹空いてるって? 聞いてきたんでしょう?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「う[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]さすが鋭いね。うん,まだなにも食べてないみたい。しかも昨日からだって。食欲はないって言ってたけど,無理にでも食べさせないと」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「リゾットを作ろうと思ってるんだけど[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「あ,うん」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「トルタ,作ってみるかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「わ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]私はいいよ。まだ下手だし」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「練習してるでしょ? こういうのは,大切な人のために作るのが,一番上達が早いんだよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「それは[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]そうかもしれないけど」 [/size][size=9pt][/size][/align][/align][size=9pt]トルタにとって,クリスは大切な人だといっても良かった。隠すつもりもないのか,本人を目の前にしても,わかりやすい態度をとることがよくある。クリスはいつも困ったように笑ってごまかしているから,気づいていないこともないんだろう。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] [/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]アリエッタのことがあるから,私には,当人達にとってなにが最善なのかを判断することはできない。子供達の問題は,いずれ子供達自身の手で,解決しなければならないのだ。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] だから私は,そっと後押しをする。それも,自分でも良いことなのか,わからないままに。ただ,三人の子供達の幸せを願っていた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「えっと[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]じゃあ作ってみるね」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] おずおずと,でも照れくさそうにトルタは言った。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ええ,そうしなさい。いつも練習しているんだから,その成果をクリスに見せてあげなさい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]あ,ううん。できれば,おばあちゃんが作ったってことにしてくれない?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「どうして?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「クリスは,私が作ったって言えば,きっと食べたがらないから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「食べた後に教えたら?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「それも駄目。後でやっぱり美味しくなかったっていうに決まってるから」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] いつしかトルタの顔には,あきらめたような笑いが張りついていた。クリスの認識では,たしかにそうなんだろう。アルは料理ができて,トルタは料理ができない。逆にトルタは歌が上手で,アルは下手。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 物事はそんなに単純ではない。でも,そう決めつけてしまう理由も,わからなくはなかった。むしろアルとトルタこそが,そのように自分たちで決めつけ,その規範の中で成長しようとしていたんだから。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] でも今,トルタは変わろうとしている。足りなかった部分を補おうと,必死に努力をしているのだ。それを素直に嬉しいと思う。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「いつかもっと上手くなってから,クリスを驚かせてあげるんだから。今はまだ,駄目なの」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「わかったよ。でも,手を抜いて作るんじゃないよ。仮にも私が作ったことになっているんだから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「大丈夫。焦げてても,おばあちゃんのリゾットだったらクリスは文句言わないよ。それに,どうせ風邪なんだから味もわからないって」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「風邪だからこそ,細かい味に敏感なのよ。薄すぎても駄目だし,濃すぎても駄目。元気な時の料理よりも難しいっていうのに」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]う,がんばります」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「よろしい。最後に味はみてあげるから,急いで作ってあげなさい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「うん」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 椅子に腰掛けていると,すぐに,鍋に火をかける音がした。目の前をせわしなく動いているトルタの影を目で追い,椅子に身体を委ねた。料理はいつも私の役目だったけど,そろそろ交代の時期にさしかかっているのかもしれない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] ただしトルタが学院を卒業して,この家を出ていくまでの間だけなのが,少し寂しいところだったが。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 煮込んだスープが少なくなり,やがて,鍋からはくつくつと美味しそうな音がたち始めていた。トルタは一生懸命それをかき混ぜながら,何度となく味見をしている。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「おばあちゃん[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ちょっとみてくれる?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「はいはい」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 小皿とスプーンを持ってきて,トルタは中身を冷ましながら私に手渡す。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]うん。味付けは大丈夫」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ほ,ほんと?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「本当よ。嘘はつかないわ。後でクリスにも聞いてみたら?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]それは,ちょっと。美味しくなかったって言われたら嫌だから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]好きになさい。とにかく,早くクリスになにか食べさせないとね」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「は~い」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] できあがったリゾットを,トルタが慎重に二階まで運んでいく。私の足ももうだいぶがたが来ているから,こうしてトルタがいてくれて助かっていた。すぐにその後を追い,二階へと上がる。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 頑丈な木の手摺りにつかまり,一段一段をゆっくりと上っていく。息を切らせたところを見せると二人とも気を遣うだろうから,登り切ったところで一端息を整える。自分ももう年なんだと気づかされるのは,こんな時だ。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 呼吸を整えていると,クリスのいるはずの部屋から言い争うような声がする。いつものことだろうと思ってはみたが,結局予定よりも早く部屋に向かわざるを得なかった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「こら,なにをやっているの」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] ドアを開けて優しく言うと,二人ともぴたりと言葉を止めてこちらを見た。ぼんやりとだが,それくらいはわかる。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「あ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]だって,クリスが一人で食べられないのに文句言うから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]だから,食べられるって」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そう言ってこぼしたじゃない!」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「熱かったから手が滑っただけだって!」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「それが食べられないって言ってるの!」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]はいはい。二人とも黙りなさい」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 上半身だけ起きあがって反論したクリスも,大きく息を吐きながら再びベッドに倒れ込んだ。こんな状態で大きな声を出したせいだろう。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「じゃあ,私が食べさせるから,トルタはタオルでも持ってきて。クリスにはこれから汗をたくさんかかせないと」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]は~い」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「クリスも,それなら良いね?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]はい」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 思わず笑ってしまいそうになる。クリスもトルタも,まだまだ子供なのだ。もどかしいが,老人は口をはざまず,黙って成長するのを見届けなければならない。あまりに逸脱するようなら,助言くらいは必要になるだろうが,この二人なら大丈夫だろう。私は,信じている。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ありがとうございます。すごく美味しいです」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そう? ちょっと出来が不安だったんだけどね」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「いつも通り,美味しいですよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「それは良かったわ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスは綺麗に一皿のリゾットを平らげ,満足そうに息をついた。それを機に私も立ち上がる。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「さ,あとはトルタがタオルを持って来るから,とにかく寝なさい。起きて,汗をたくさんかいていたら,枕元に置いてあるタオルで身体を拭くのよ。トルタに自分の部屋にいるように言っておくから,呼べばくるでしょう。着替えも用意しておくから,遠慮はしないこと。いい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]はい」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] ドアを開けて廊下に出ると,トルタがタオルを持ったまま中の様子を窺っているようだった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「あ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]おばあちゃん」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 中には聞こえないような声で,トルタは呟いた。私もそれにならい,声を潜めた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「全部聞いてたかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]うん」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「美味しいって言ってたよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「おばあちゃんの前だからだよ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] そう言いながらも,頬が少し赤くなっている。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「そういうことにしておきましょうか。それで,最後まで聞いていたね?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「うん。タオルを置いて,部屋で待ってればいいんでしょ?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ああ。お願いしたよ。私は下に降りるから」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「任せておいて」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 自信ありげにトルタは言って,部屋へと入っていった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] それからしばらく,一階の居間でくつろいでいた。トルタは自分の部屋で時間を潰しているそうだが,ひょっとしたらクリスの様子を見ているかもしれない。時刻はすでに,夜に近づいている。そろそろ私達の夕食について考えなければならない時間になっていた。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] メインディッシュはお昼に人数分以上は作ったから,クリスの分を切り分けておけば大丈夫だろう。問題は,いつ食べるかだったが。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] そのまま,椅子に背をもたらかけさせ,トルタが戻ってこないかと待っていたが,一向に降りくる様子もない。もう一度上るのはきつそうだったが,そろそろそうも言ってられなくなった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 二階に上がり,やはりもう一度息を整える。辺りには物音すらしなかったから,トルタも部屋で大人しくしているのだろうか。クリスが寝ていたときのために,ドアに耳をつける。すると,小さな声で子守歌を歌っているのが聞こえた。昔から私が歌って聞かせた歌だ。おそらくトルタが歌っているのだろう。そのままにしておきたかったが,話しかけないわけにもいかない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] なるべく音を立てないようにドアを開けると,その歌声はぴたりと止んだ。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]あら?」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスはベッドに寝たまま,困ったような顔でこちらを見ていた。その脇には椅子が置いてあり,トルタが座っていた。いや,座っていたのだろう。今は上半身をベッドに投げだし,クリスの足下の辺りで静かに寝息を立てている。歌が聞こえたように思えたのは,気のせいだったんだろうか。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「起きたらこんな状態でした」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 来たときよりも,幾分かは元気そうな声でクリスが答える。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ええ,だいぶ寝られた?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「はい。ありがとうございます」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] いつもの礼儀正しい口調に戻っている。それが少し寂しくはあったが,同時に安心でもあった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「熱は? まだ身体は熱い?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「もう大丈夫だと思います。もう外も暗くなっていますから,もう少ししたら帰ります」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「泊まっていく? 朝に帰れば,学校にも間に合うでしょう」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ごめんなさい。今日は日曜日なので」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] それ以上語ろうとせず,クリスは窓の外を向いた。部屋は充分暖かかったので,新しい空気を入れるために窓を開ける。夕方のさわやかな風が入ってきて,部屋の中の空気を一掃する。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]気持ちいいですね」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ええ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] それだけ答えてしばらく外を眺めていると,クリスが私と同じ方向を見つめながら懐かしそうな声をあげた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「これは[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]なんの匂いですか? なんだか,すごく懐かしい気がするんですけど」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ん? 匂い?」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 窓辺にはハーブを植えた鉢植えが並んでいて,その香りがクリスに届いたみたいだった。懐かしいと言うくらいだから,昔から家にあったものだろう。その中でも香りの強いものを選んで,その一つを手折った。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「これかい? これはローズマリー。お料理にも使えるし,お茶にもいいんだよ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスの鼻もとにその葉を近づけると,クリスはこれだと言って頷き,目を細めた。 [/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「ああ,これです。ずっと昔[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ニンナさんの部屋で同じような匂いをかいだことがあります」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ずっと育ててるからね。前のは全て向こうの家に残してあるけど,よく使う物だからこっちでもね」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] ローズマリーは主に,集中力を増進すると言われているけど,確か風邪にも効いたはずだ。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「ならこれで,ハーブティーを作ってあげよう。風邪にもいいんだよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ハーブティーですか。そう言えば,昔飲ませてもらった気がします」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「クリスは苦いって言って,最後まで飲めなかったんだよ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]覚えてるかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]覚えてます。今はもう,大丈夫ですよ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 強がるようにそう言って,クリスは視線を逸らした。その先では,まだトルタが寝息を立てて眠っている。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「トルタは,いつ頃眠ったんだい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「わかりません。食べてからすぐに寝たんですが,起きたらもう,こんな状態でした」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そうかい。なんだかんだ言い争っても,仲がいいんだね」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]幼なじみですから」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 照れるわけでもなく,かといって苦々しげでもなく,寂しそうに彼は言った。今の状態を考えれば,それも当然かもしれない。クリスはしばらく黙っていたが,その沈黙に耐えられなくなったのか,私の方を向いて首を何度か横に振った。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]アルのことかい?」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 核心に触れるように,そっと訊ねる。クリスは鈍い感性の持ち主ではなかったから,トルタの気持ちには気づいているだろう。でも,それに応えることはできないでいる。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]はい」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] しばらくして,短く,それだけにはっきりとクリスは答えた。その瞬間,トルタの身体が,少し動いた。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] クリスはそれ以上答えようとはしなかった。私も無理には聞き出したりはしない。ただ優しく,寝ているトルタに声をかけた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「さ,トルタ。そろそろ起きなさい。私達もなにか食べないと」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ん。え? [/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ああ,おばあちゃん」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 眠たげな声とともにトルタは起きあがり,辺りを見回した。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「おはよう,トルタ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスが,少し皮肉っぽくトルタに話しかける。トルタも負けじと応戦する。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「なによ。寂しいから側にいてって言ったのは,クリスじゃない」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]は?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「寝言で言ってたの。覚えてないでしょうけどね」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]嘘だ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「こんな嘘付いてどうするのよ。仕方がないからここで本読んでたら,眠くなっちゃっただけじゃない」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]絶対に嘘だって」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタは勝ち誇ったように胸を反らし,クリスの言葉を否定した。おそらく,トルタの言っていることは本当だろう。口から出任せを言ったのなら,トルタならもっとむきになって反論するはずだ。クリスもそれがわかったのか,それ以上の反論はせずに,小さな声でなにか呟いてそっぽを向いた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「はいはい。じゃあ私とおばあちゃんはご飯食べるけど,クリスのほうは食欲は?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]ないよ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「どうする? もう少し眠る?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「いや,もう大丈夫。晩ご飯は残念だけど,今日はもう帰らないと」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスは起きあがって,首を何度か横に振った。調子も悪くなさそうだ。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「熱は? [/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]うん,だいぶ下がったかな」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタがクリスの額に手をあてると,いやがる素振りも見せずにクリスは従った。こういうところが,微妙だった。普通の間柄なら照れて嫌がるところだろう。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 三人で下まで降りると,すぐにクリスは持ってきたフォルテールを肩に掛け,帰る準備を始めた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「あれ? そんなにすぐに帰るの?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]日曜日だからね」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] クリスはトルタに短く答え,服の襟を正した。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「トルタ。キッチンにラザニアの切り分けたのがあるから,持ってきて」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「あ,はい。クリス,もうちょっと待ってて」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] すでにもう一度焼き,切り分けて包んで置いたクリスの分を取りに行かせる。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 最後にクリスはもう一度私に近寄って,この手を握った。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「今日はありがとうございました。また来ます」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] いつもなら,帰る頃にはもう少しくだけた口調になっているはずだったが,今日は食事もしいていないから,仕方がないか。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「ああ。またいつでも,好きなときに来なさい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「じゃ,また明日ね。学校,来れそうでしょ?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「うん。大丈夫だと思う。また明日」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] もうだいぶ良いのか,クリスは来た時とは違ってはきはきとそう答え,足取りもしっかりした様子で帰っていった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] その頃には,いつも夕食をとっている時間になっていたので,トルタに用意をするようにお願いする。二階まで何度か上り下りをしたせいで,足が少し痛む。普段なら料理を運んだりするのは二人でやるのだが。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「あ,おばあちゃんは休んでて。今日は私が全部やるから」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタは優しい,良い子だった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「はい,これで全部終わり。お腹空いたでしょ? 早く食べよ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタは明るく言って,向かいの席に座る。食前の祈りを済ませ,少し寂しい食卓を囲む。いつもと変わらない風景だったが,クリスのいた空気がまだ残っているせいか,少しもの悲しい。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「今日は残念だったね。クリスも,せっかくフォルテールまで持ってきたのに」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「子供は,元気な姿を見せてくれるのが一番。それに話もできたから,別にそれで良いじゃない」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「まあ,おばあちゃんがそう言うなら良いんだけどね。でもね,本当はおばあちゃんのいる前で話もしたかったんだ」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「話?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「卒業演奏のこと。前にも話さなかったっけ?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「パートナーがどうの言ってた?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「そう。来年の一月が本番なんだけど,まだ決まってないみたいなの」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタが言っているのは,ピオーヴァ音楽学院の卒業試験ともなっている演奏会のことだった。発表会という名ではあったが,学院の卒業生など,一線で活躍している音楽家達もたくさん観に来て,見込みのありそうな生徒ならその場でスカウトされることもあるらしい。それくらいにレベルの高い演奏会だと聞いている。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] そしてクリスのフォルテール科では,単独での演奏は許されず,歌との協演が必須条件らしい。声楽科はソロでも構わないので,そのままトルタに跳ね返ってくる話でもない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] ただトルタは,純粋にクリスの心配をしているのだろう。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「まだあと三カ月以上もあるからって,真面目に聞いてくれないのよ。おばあちゃんが一緒になって言ってくれれば,少しは考えると思ったんだけど」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] トルタはあきれたようにそう言い,同じくらい心配するように,深いため息をついた。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] あまり良い質問とは思えなかったけど,聞かずにはいられなかった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「トルタじゃ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]駄目なのかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]私は,向いてないから」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 資質でいえば,特に問題はないだろう。トルタの歌声を聞く限り,それは間違いない。演奏する方は駄目だったが,その分私はたくさんの音楽を聴いてきた。孫だからと言って,甘い評価をしているつもりもない。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] トルタの言っているのは,そういうことではなかった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「アルのことかい?」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]うん」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 私はもう一度,同じ質問を繰り返す。そしてトルタの答えも,変わらなかった。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] 食事が終わり,洗い物を全て片づけた後にトルタは部屋へと戻っていった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 私は一人居間に残って,三人の子供達のことを考えていた。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] アルとトルタ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]そしてクリス。そのうちの二人がこの地に来てから,もう二年以上が経つ。私への敬語も,トルタへの態度も,全ては彼が変わろうとしているせいなのかもしれない。あるいは,これは私の推測でしかないのだけど,変わらないようにしているせいなのかとも考えたことがあった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] 過ぎ去った日に戻ってしまうから。そして,お互いの距離が近くなってしまうから。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] [/size][size=9pt]――[/size][size=9pt]そんなことを考えていると,階段を駆け下りてくる音がする。[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt]「あ,おばあちゃん,まだ起きてたんだね。私はもう寝るから,おやすみなさい」[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt]「ああ[/size][size=9pt]……[/size][size=9pt]おやすみ」[/size][size=9pt][/size]
[size=9pt] それだけ伝えて,トルタはまた自分の部屋へと戻っていく。優しい子だ。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] あの子達三人の,全てが幸せになれる結末などないのかもしれない。それでも祈らずにいられなかった。[/size][size=9pt]
[/size][size=9pt] どうか子供達が,幸せでありますようにと。[/size][size=9pt][/size]
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